うちのマリード(旦那)くんは大の 寿司 好き。
日本に行っている間は毎日でも食べたいタイプです。
数日前にやっとタイミングがあってお寿司を食べに行けました。
セビージャで日本の方がやっている、
La Hermandad de Sushi (ラ・エルマンダー・デ・スシ)。
地元の人にも人気のある庶民派のチャーミングなお店です。
私のインスタグラムの写真投稿を見たお義母さん、カルメン。
今週末は一緒にお出かけをしようと言っていたところなので、彼女のリクエストで本日またお寿司(笑)
なぜって、明日の日曜はスペインの「 母の日 」。
1日早めにお祝いです。
マリードくんは毎日でもお寿司を食べたいタイプなのでニンマリ。
CONTENTS | もくじ
年に2回の「母の日」
今日はセタスの下にある「山崎」というお店にいきました。
私はスペインに来てから、毎年一年に2回「母の日」を祝うようになりました。
なぜなら、アメリカと日本は同じ日、5月の第2日曜ですが、スペインは第1日曜。
ちなみに父の日も違う日。
アメリカと日本は6月の第3日曜。スペインは3月19日です。
私には日本に実母、通称「オババ」(もとママ)がいます。
アメリカに「マザー」がいます。
高校生の時にアメリカのホストファミリーにあって以来、「マザー」と呼ぶようになりもう32年目。
「ダディー」は10年前に亡くなってしまいましたが、何十年も私のアメリカの家族。
ホストシスターやブラザーとも今でも仲良しです。
スペインではお義母さん、カルメンがいます。
「おかあちゃん」
お義母さんは飲めないけど乾杯!
ふと小さい時の思い出が頭に浮かびました。
私にはまだまだお母さんのような存在の人がいっぱいいたな。
まずは「おかあちゃん」。
そして旦那さんは「おとうちゃん」と呼んでいました。
子供のいない両親の友達カップルでした。
本当だったか、ちょっと普通と変わっていたうちの両親の冗談だったのか?
私を「養子にあげる〜」と約束していたのを覚えています。
大好きだったので、私も調子に乗ってそのつもりでした。
でも、最終的に養子には行きたくない〜と泣いたことを覚えています。
餃子もお義母さんお気に入り。
「おとうちゃん」が亡くなってからも、「おかあちゃん」とはよくあっていて仲良しでした。
でも、いつの間にか連絡が途切れました。
今はどこにいるのでしょう。
お母さん いっぱいの幸せ者
超カラフル。あぁ海外の寿司だね〜😅と実感するこの瞬間。日本のお寿司とは程遠いですが有り難くいただきます(笑)
両親が会社経営していたせいもあり、私たちが小さい時に「お母さん」役を果たしてくれていた人が他にもたくさんいます。
「おばあちゃん」
母が仕事に行くために、小さい私をおばあちゃんの玄関に置いて逃げ去っていたエピソードあり。
ずっと海外生活してますが、私が孫の中で誰よりも一番近い存在でした。
「ばあちゃん」
「ばあちゃん」と「じいちゃん」はある時期、南の島から横浜に出てきてちょっと住んでいたことがありました。
ばあちゃんと呼んでいたけど、本当は父の年の離れたお姉さんでした。
会社のすぐ裏に住んでいたのにバスで毎日うちにきて面倒を見てくれていました。
ばあちゃんが夜になって帰るときは、「どうして一緒に住めないの〜」と大泣きしていた私。
「おばちゃん」
大きな体をゆっさゆさしながら毎日通ってくれました。
いわゆるお手伝いさん。
私は「おばちゃん」が大好きでした。
毎日学校から帰ってきて、美味しいおやつが待っていて、
それを食べながら一緒に昼メロを見る。
私がまるまるしていった理由の一つです(笑)
お母さん たち にもらったもの
寿司 の後はセントロからトリアナまで歩きます。途中での素敵な風景。
小さい時はママっこでしたけど、仕事が忙しかったのと病気で一緒にいれないことがよくありました。
そのギャップを埋めてくれた「お母さん」たち。
甘えたい時。
学びたいもの。
安心感。
優しさ。
生きる強さ。
などなど、いっぱいもらいました。
最後はコーヒーとスイーツ。バルの前にあるコンフィテリア(お菓子屋さん)から買ってきて食べるのもスペインらしい。
自分が母になって26年。
何歳になっても、前を生きていった「お母さん」たちはそれぞれ偉大。
何か越えられないものがあります。
実の母にも(なんだかんだ色々あったけど 😅)。
私の人生に存在する他の多くのお母さんたちにも。
思い出の中のお母さんたちにも。
常に感謝。
「母の日」は一年に何回あってもよい感じです。