毎年4月は、国際プエブロ・ヒターノ・デーがあります。
今年は50周年記念を迎えました。
1971年4月8日に第一回世界ロマ会議がロンドンの南で開催されてから数えた50年。
でも、もちろんヒターノの歴史はもっともっと長く、深いです。
プエブロってどういう意味?
ヒターノってなに?
フラメンコ との関係は?
今日は暮らしの中から学んだ、私の知っていること、
今までに教えてもらったことをシェアしたいと思います。
CONTENTS | もくじ
ヒターノって?プエブロって?
世界中にいるロマ(Roma)民族。
人種でもあります。
英語ではジプシー*として知られています。
スペイン語ではヒターノ(男性)、ヒターナ(女性)と言います。
自分たちの旗や賛歌もあります。
旗の緑は草。青は空。真ん中の赤は馬車の車輪。自由を求め、国境を越える遊牧民であったことを象徴します。
賛歌は「ジェレン・ジェレン」という題。
意味は「歩いて、歩いた」だそう。
ナチのホロコーストでの苦しみなどが歌われています。
言葉が分からなくても悲しみとか苦しさが伝わってきます。
Extremaduraに住んでいるお知り合い。こちらのバージョンはお母さんが歌い、お父さんが指揮をとり、娘さんはフルート、息子さんはトランペットを吹くという、家族揃っての素晴らしい演奏。感動します。
色々な国にロマ(ヒターノ)は住んでいます。
もちろんスぺインにも。
家族も友達にもヒターノさんたちがいっぱいです。
ヒターノの起源は北インド。
Googleでみると、ヨーロッパや西アジアに到着したのは1007年ぐらいだそうです。
例えばスペインに住むヒターノは、インドから北を通ってフランスからスペインに到着したことが証明されているそう。
他の国に住むヒターノ(ロマ)たちも何年もの年月をかけて、インドから移住していった方達です。
プエブロとは「村」という意味があります。
プエブロ・ヒターノというとヒターノの人種のコミュニティーのことになります。
どこの国にいても、どの地方に住んでいても血で繋がっているということです。
そこでお互いに「プリモ」「プリマ」(いとこ)と呼び合います。
年配の方へは、謙遜心と親近感を込めて「ティト」「ティタ」(おじさん、おばさん)と呼びます。
ちなみに、ヒターノの血が入っていた人たちには、チャーリー・チャップリンやエルビス・プレスリーなどもいます!
フラメンコの源
トリアナ橋を渡ったところにあるプラザ・アルトサノに立つヒターナの像。
スペインには色々なところにヒターノさんが住んでいますがアンダルシア地方に多いです。
フラメンコの源はアンダルシアのヒターノと言われています。
特にカディス県とセビージャ県に、深く濃いフラメンコの歴史があります。
どうしてアンダルシア 地方に、ヒターノの家族がいっぱい住むようになったのでしょう?
つい数日前に、クラスに来ているヒターナのエミリアさんがいろいろ教えてくれました。
彼女は ヒターノ の権利や平等を主張するアクティビスタの一人。
アンダルシア地方のヒターノさんたちにとっては歌や踊りは生活の一部。
フラメンコは「する」ものじゃなくて生活の中に自然に「ある」ものです。
もちろん、みんながみんなアルティスタではないです。
でも、結婚式、洗礼式、お誕生日、クリスマス、年越し…などお祝いの時、
必ず歌と踊りがあります。
ヒターノ特有の歌もあります。
歌と踊りだけでみんなで楽しめるという文化と習慣。
素敵!
偏見や迫害
国際プエブロ・ヒターノ・デーは今年で50周年記念。団結してヒターノの権利や人権を主張できるようになった歴史はまだまだ短いです。
もちろん歌って踊るという習慣から離れてしまったヒターノ家族もいます。
一つの理由は、昔から常にヒターノのコミュニティーをバラバラにしようという、スペインの国の政策が続いてきたから。
一番「最近」の例で言うと、1950年代。
トリアナ地区は昔から多くのヒターノさんたちがみんなで暮らしていた場所でした。
ヒターノでない人たちとも仲良く共存。
1500年代から400年以上の間、ずっとトリアナに住んでいました。
多くのヒターノさんたちが、コラル(Corral)にみんなで住んでいたのです。
ところが国の政策として、無理やりヒターノをトリアナから他の地区へと追いやったのです。
消防隊や兵隊も来て強制的に追い出したそう。
その時代のヒターノ家族は、他の地区に設置した仮説小屋に無理やり押し込まれました。
シーツや毛布で、お互いのプライバシーを守らなければいけなかったりしたそう。
私たちのお友達や知り合いも、元トリアナ出身は山ほどいます。
みんなフラメンコのプロではなくても、仕事の後などに歌ったり踊ったりしていたそうです。
ちなみに、1998年から元トリアナ出身のご年配のヒターノさんたちが集まり、「トリアナ・プーラ」が結成されました。
そして、彼らたちの自然な歌や踊りをステージで披露することが数年続きました。
私の大好きなタイプの本来のフラメンコです。
根強い差別
ユダヤ人の強制収容や黒人奴隷の歴史は世界的に知られています。
でもロマ(ヒターノ)たちが迫害されてきた歴史は知らない人はいっぱいいます。
ナチスのホロコーストの対象でもあり、60万人以上の命が奪われたそう。
何世紀にもわたって迫害されてきたヒターノたち。
今でも偏見が存在していて、ヒターノさんたちはよく差別の対象になります。
どんな人種の人でも、どの国の人でも、良い人もいれば悪い人もいるはず。
でも、人種差別をする人はそんなのおかないましで、人種や国をまとめて嫌ったりします。
ヒターノに対してステレオタイプを持っている人。
人種差別していると気付いていない人も多いです。
スペインでは、今もヒターノに対する人種差別が深く存在しています。
差別は本当に根強い。
フラメンコ・アルティスタのヒターノにはよくするけど、他のヒターノは見下すという人もいっぱいいます。
差別は努力して無くそうとしないと絶対無くなりません。
私たちの知り合いで、ヒターノたちの暮らしをよくしようと活動している人がいっぱいいます。
良い人、悪い人。信用できる人。失礼な人… などなどの判断は
個人レベルでしないと!
肌の色、顔の形、言語などから人種全体を差別できません。
私もほんの少しですがアメリカでも日本でも(!)差別を受けたことがあるので、これは忘れられません。
日本では「外人」だろう、といわれて差別を受けました 😅
(それはまた今だから話そうシリーズで〜 笑)フラメンコ 源 ヒターノ 暮らし
ヒターノの言語
カロについての書籍。フラメンコ愛好者の「ティト」がプレゼントしてくれました。
ヒターノの言語はロマノ(Romano)。
ロマノで全部喋れる人は数人しか知りません。
スペインやポルトガルのヒターノはロマニ・イベリコ、カロ(Caló)を使います。
カロの言葉やフレーズをスペイン語に混ぜて話します。
フラメンコの歌にもカロがよく出てきます。
私のように学校や本からスペイン語を学ばない人は、耳から覚えたスペイン語を話すようになります。
ということで、私も知らないうちに自然とカロの言葉を混ぜて喋っています(笑)
マリードくんも聴き慣れている英語と日本語の言葉をポロポロと使うので、
気がつくとマリードくんと私の間では英語、日本語、スペイン語とカロの言葉を混ぜてしゃべっている時があります(笑)
私たち超インターナショナル〜 😆
フラメンコ 源 ヒターノ 暮らし
お決まりや習慣
昔からの特有の習慣が残っているのも私は素敵だと思います。
もちろん外から見ているからそう思うのかも?
若者ヒターノさんたちの中には、お決まりとか習慣が古臭くてヤダ〜という人もいます。
一つ日本と似ているな〜と思うところは、
年配の方を敬い大事にするところ。
家族の長がいるところも日本の古い習慣がまだあるところに似てます。
ところで宗教は?
最近あったセマナサンタで、いつも行くヒターノの教会でふと思いました。
セマナサンタの時のイグレシア・デ・ロ・ヒターノ(ヒターノの教会)
キリスト教の人もいるし、クルトというのに入っている人もいるけど?
ヒターノの宗教って?
へ〜、そうだったんですね!
平等と自由を求めて
世界中にはいろんな人います。
もちろんヒターノの中にも…
シンプルな人。
心が清い人。
働き者の人。
ユーモアたっぷりの人。
真面目な人。
優しい人。
厳しい人。
うちのマリードくんのように、 フラメンコ がいつの間にか職業になっちゃった人もいます。😆
私は家族や友達、ヒターノもカステジャーノ(ヒターノでないスペイン人)もみんないい人たちに恵まれています。
ウマニスタ!
ん〜、と悩んだ結果。
ラベルをつけるとすればこれでしょうか?
スペイン語では humanista「ウマニスタ」。
英語では humanist「ヒューマニスト」。
日本語で人道主義というとちょっとお堅いですが、
女の人も、
男の人も、
ゲイも、
トランスも、
どこの国の人でも、
どんな人種でも。
平等で、お互いを謙遜し会えたらいいです。
私たちの知り合いがやっている組織でも、平等と自由を求めて今でも前進しているとのこと。
先は長いですが応援しています。
フラメンコ 源 ヒターノ 暮らし
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