今年初のブログ更新を1月中にすることにしました。
(明日から2月なので超ギリギリですが 😅)
2023年の終わりと2024年の始まりは凄まじく、身体と精神へのチャレンンジでした。
11月中旬の予期せぬ悲報から、病気の母を見舞う日本滞在1ヶ月。
バタバタと2ヶ月が過ぎてしまいました。
今回の日本滞在は大阪市内にステイ。
2度目の「ラブホ滞在1ヶ月」は避けることにしました 🤣
でも3日に一度のお見舞いは往復4時間。
数日にわたって大阪、東京でのクラス開催。
そして、東京には深夜バスで往復したので結構ハードスケジュールでした。
新宿歌舞伎町では!人生初、「憧れの」カプセルホテルにも泊まりました!🤣
スペインに戻ってからは季節がら、フィエスタの仕事がいっぱいでした。
家族行事も盛り沢山。
Nochebuenaをこなし、(ノチェブエナ)クリスマスイブ
Nocheviejaにたどり着き… (ノチェビエハ)大晦日
今年も12粒の Uva (ウバ)葡萄 で新年を迎えました✨
でも、最後の一個が落ちた!😂
しかしこの直後、胃痛、吐き気、などなどで具合が悪くなり、KO。
新年最初のまるまる2日は倒れて寝てたという始末。
何も食べずにひたすら寝ました。
気合いだけで動いていたので身体が huelga (ウエルガ)ストライキ を起こしたのですね。
身体さん、ごめんよ😓 またやっちまったい…
いつになったら「疲れてるから休もう~」という人並みのことができるようになるのだろう😅
年初から反省の私でした。
結局いつものバタバタでブログをサボってたという訳です。
でも実はサボっていた理由はそれだけでなく、気持ちの問題。
書きたいことはいっぱいあったのですが、ん~~~~~~😑
気が乗らなかったというわけです。
スペイン語の Estar de luto (喪に服す)
スペインでも日本でも「喪に服す」って起源は宗教であっても、習慣ですね。
アメリカには23年住んでいましたが、日本のように故人の冥福を祈りながら身を謹んで生活する習慣はなかったです(昔はあったのかもですが…)。
でもスペインは日本に似ていて、luto (ルート)喪に服す 人はまだいます。
スペイン語では「 喪に服す 」ことを Estar de luto (エスタール・デ・ルート)と言います。
例えば “Estoy de luto” (私は喪に服す/喪中です)となります。
昔は家族に不幸があった場合は誰でも 黒い服だけを着て着飾ることもせず、日常生活の最低限のことだけをして過ごしたそうです。
心の中の悲しみを外からでも、行動にも反映させるのです。
Entierro (エンティエロ)埋葬式 ではカジュアルですが、みんなほとんど黒い服を着ていました。
日本でも昔はある一定期間、喪服で過ごしていたそうですね。
昔のスペインでは、みんなが厳しく 喪を服す ことを重視していたそう。
喪を服することが法律だった時代もあったとか…
そして、 スペインで喪に服す期間は故人との関係によって異なったそうです。
今はみんながみんな昔のような Estar de luto で生活するわけではないです。
一人一人に悲しみを乗り切るための期間や、アプローチの仕方は違います。
でもまだ多くのヒターノさん家族や、小さい村の人などは Estar de luto の期間を結構厳しく守るようです。
例えば、私たちが親しかったヒターノのTitoのケース。
彼の亡くなった後のお話を息子さんたちが教えてくれました。
“Estabamos de luto por más que un mes….”
息子たち3人は髭も剃らずに同じ黒い服で1ヶ月以上も過ごしたとのこと🙏🏽。
Utreraが誇る Cantaoras (カンタオーラス) フラメンコの歌い手 の Fernanda & Bernarda。
お父さんが亡くなった後、一年近くもステージでも黒い服を着てずっと歌い続けていたそうです。
喪服で歌うフェルナンダとベルナルダ。
でもある日、この二人が大好きだった Lola Flores (ローラ・フローレス)がアドバイス。
「ステージに立つのだから黒い服を着ていちゃダメよ。」…と、
アルティスタとしての二人を元気付け、応援したそうです。
写真は テレビ局 Canal Sur のドキュメンタリーからお借りしました。後もう少しの間ウェブで視聴できます✨
Documental Fernanda y Bernarda
納得が行くまで喪中を続けようとしていたのですね。
もちろん、Luto が過ぎても悲しみが100%消えることはないですね 🥺
嘆き役からフラメンコの曲目へ?
19世紀のスペインでお葬式に、愛する人を亡くした嘆き、悲しみを叫び、表現し、歌う女性たちを雇うのが習慣だったそう。
この女性たちは “Plañideras” (プラニィデラス)と呼ばれ、その多くはヒターナさんたちでした。
印象的な声と失望を表現力をもったこの女性たちはお葬式での大事な役割を果たしていたそうです。
フラメンコをしている人だったら聞いたことのある Seguiriyas(セギリージャ)。
いまでも討論の的だそうですが、この歌の由来はこのお葬式の習慣・歴史にあるのでは?との説があります。
私たちがフラメンコの曲種の一つとして知るこのSeguiriya は 悲しみ、怒り、嘆きを歌う曲。
Seguirillas gitanas (セギリージャ・ヒターナ)と呼ばれるのもしっくりきますね。
Seguirillas gitanas (セギリージャ・ヒターナ)というタイトルのボレロみたいな曲も存在しています。でもフラメンコではないです!
名前の由来の説はこんな感じ。
Seguidillas ”playeras” (セギリージャ・プラジェラス)というタイプの歌が存在していたそう。
でも Plañideras と playeras を間違ったのではないでしょうか?😅
やっぱり ”playeras” は Plañideras からきたという説が一番しっくりきます。
そしてSeguidilla という言葉が Seguirilla になり、 Seguiriya になったとも思われています。
ちょっとマニアックなお話ですみません🤓
今回はこのレトラでお別れ~
私も大好きな Niña de Los Peines(ニニャ・デ・ロス・ペイネス)さんの Seguirillas gitanas✨
20世紀前半の大変有名なヒターナの Cantaora (カンタオーラ)フラメンコの歌い手。
だから 「セギリージャ・ヒターナ」と呼ばれるのは筋が通ってますね… Es muy gitana!
yo tengo una pena
y qué alegría más grande tiene todo el mundo
yo tengo una pena
yo se lo pido
yo se lo pido al de santita María
que me saque de ella
qué alegría más grande tiene todo el mundo
yo tengo una pena
*Y yo le pido a Dios
que me miraras tú con los ojitos
que te miro yo*
みんながすごく幸せなのに
私は心が痛む
サンタ・マリアさんに頼むの
私をこの痛みから引き出して
神様に頼むの
あなたがその目で私を見てくれるよう
私はあなたを見つめるから
またまたマニアックですみませんが、*この部分*、ちょっと聞こえにくいのですがこれです!
フラメンコさんはご存知の通り、SとかDとか発音しない言葉がいっぱいあるのにも気づいてね。
最後に..
大事な人が他界した時。
昔流のEstar de luto をしなくても、人は悲しみや心の痛みを少しずつ乗り越えていきます。
自分のやり方やペースでいいのですよね?
私の場合、心にポカリと空いた穴を埋めるため 止まらず動いてます💔🕊🙏🏽
そして Siempre p’alante! (いつも前を進みます!🥲)
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